昨日2月11日未明、南海、ヤクルト、阪神
楽天で監督を務めた野村克也氏が亡くなられました。
自分が昔プロ野球にのめり込むキッカケに
なった一人でもありました、
小学生の低学年か中学年の頃
当時尾花、高野、伊東投手や
荒井、杉浦、八重樫、角、池山、広沢、レオン
渋井等が主力で監督は関根順三氏
とても弱かったけど何故か大ファンだった。
小学生なので回りの友達は皆当時抜群に強かった
西武か巨人ファンが殆どだったけど
ヤクルトがとにかく好きだった、
今思うとその頃から弱いチームが
強いチームに向かっていく姿勢や
1勝の重み、下剋上的なものに魅力を
感じていたのかもしれない。
そして野村監督が就任したからチームは年々力を
付けていきセ・リーグ優勝、日本一になるまで
チームは成長していった。
1990年代はリーグ制覇を4回成し遂げた
ヤクルト黄金時代!
何より凄かったのは特にFAなどで補強に
力を入れていた訳でなく
野村再生工場ともいわれたが
他チームでくすぶっていた選手や戦力外の選手達を
再生し活躍させる。
これは中々出来る事でないと思うし
強くて明るくそして野球ファンを魅了したのが
野村ヤクルトだったと思う!
又選手時代も頭脳派キャッチャーでありながら
3冠王や8年連続本塁打王に輝くなど
打線の主砲でドカベン山田太郎のモデルでもありました。
監督時代、江夏、江本、山崎等問題児というか特に
クセの強い選手にも師事されるほどの理論と
選手をのせる巧みな話術や
言葉の力を持たれていました。
言葉はキツイけど選手思いで愛情のある人
自軍が3,4点リードしてて先発投手が
4回3分の2で2失点尚も2,3塁の様なケ―スだと
簡単に投手交代をする様な監督も多いけど
野村監督の場合は先発投手が勝利の
権利を得るまではギリギリまで交代はしないような
情ある采配が多かった様に思えます。
横浜の大矢監督がいつぞやの交流戦
対オリックス戦でプロ0勝の25,6歳の
投手が3回までパーフェクト
横浜も4、5点リードしてるにも関わらず
アクシデントなども無いのに3回で非情交代。
野村監督だったらこういう采配はせず
5回は投げきらすか同点までは
選手の事を考えて我慢しただろうね。
データ重視でありながら
根底は選手の事を思いやる采配をして
強いチームを作る!
そんな素敵な監督さんでした。
野村監督の愛あるボヤキを聞けなくなるのは
とても寂しい、、、
野球ファンとして一言言いたい。
素晴らしき野球の魅力を伝えて頂き
ありがとうございました。